鬼や獅子を舞うときの精神論を語る人はそう多くはいないように思います。

7日の夜、瓜生屋の練習へお邪魔しました。本番を12日に控え、仕上げに入っている段階だからでしょうか、所作に対する細かい修正と共に、舞に対する心持やその時の感情まで役に叩き込みます。
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ある人が、「自分たちは演者なんだ」と仰っていたのを思い出しました。

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鬼太鼓の舞いに込められたストーリーをすべて理解することはできなくとも、獅子との駆け引きや鬼のバチ捌きは観ている側を魅了するだけの感情がそこに籠っていなければ、唯の「動作」になってしまいかねません。

舞の終盤、鬼が再び太鼓の前へ獅子を引き連れて戻ってきたとき、先輩から「楽しくやるんだ」とアドバイスが。
正直、自分としては予想外の言葉でした。楽しく???
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しかし、良く考えてみると、人々の厄を太鼓へと収め、ある意味厄との戦いに決着をつけたときの充足感に、鬼は満ち溢れているのかもしれません。そう思うと、今まで以上に鬼が生き生きとして見えてきました。
観る側も、想像を膨らませながら舞いを観ると、一層面白味が湧いてきそうですね。

私自身、太鼓を打ちながらも悩みが尽きませんが、役をやっている人はそれ以上の葛藤と戦わなければならないのだろうと思います。悩める後輩たちに、先輩からは「自信を持ってやれ」。
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祭りを経験して成長していく、演者へと成りきっていく過程も見ものです。

瓜生屋の本番は4月12日(土)です。