元気なお年寄り達で始めた「佐渡を歩こう会」改め「大人の遠足」。
農繁期にかまけて一ヶ月遅れの報告となってしまいました m(__)m
今回はアカデミックに真野の歴史探訪(順徳天皇を学ぶ、見る、探す)です。

とは言っても冒険好きで好奇心旺盛な人々の集まりです。幻の堂所御所の石碑を求めて道なき道を探検しました。

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まずは、真野公園の駐車場に集合していつものように準備体操から。
今回も25名もの参加者がありました。

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第一歩は真野宮の参拝から。
順徳天皇は、父後鳥羽上皇の鎌倉幕府倒幕計画に参画し、承久の乱を引き起こしたものの失敗して佐渡島に配流されました。

天皇は在島22年、仁治三年(1242年)45才でここ真野宮で崩御されました。

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それでは真野宮を離れ、今回の目的地である堂所御所跡を目指します。

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真野川沿いを砂防ダムに向かい緩やかな登り坂を歩きます。
ここまでは初夏の森林浴気分で余裕のトレッキング。

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砂防ダムに着いたところで藪に蔽われ道が分からなくなりました。

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堂所御所跡は、佐渡の観光マップにも記載されているのですが、今まで何人もの方達がここで断念してしまったそうです。
今回は探検好きな仲間が大勢いますので、ネットで探した写真の地形を頼りに道を探索しました。

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こんな藪の中でかろうじて道らしきものを見つけて進みます。

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ようやく目印の沢に着きましたが、ここから右に登るか左に登るか?
暫く先遣隊が周囲を探索すると「見つけた!」との声が。

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藪に蔽われ道なき斜面ですが、皆喜び勇んで登って行きました。

770年余り前の事なのではっきりした証拠はないのですが、かつてここに真野宮の前身である真輪寺の奥の院、阿弥陀堂があり、順徳天皇はそこで崩御されたと「真野山皇陵記」に記載されているそうです。(諸説あり)

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天皇は本当にこんな険路の山中で過ごされたのでしょうか?
不謹慎かもしれませんが、久しぶりに人々が訪れ喜ばれるかと思いここで昼食の宴としました。

来る道は藪に蔽われていましたが、石碑は苔むすることもなくきれいに保たれており、地元のどなたかが今も大事に管理されているのが分かります。

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今回の大目的を果たすことができ真野御陵へ。
順徳天皇の御遺骨は京都の大原に御治定されたので、真野御陵は正式には「順徳天皇火葬塚」ですが御陵と同じ取扱いとなっているそうです。

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吉田松陰も佐渡に訪れた際に当時を偲んで漢詩を残しています。

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真野には順徳天皇ゆかりの伝説が多くあります。
これは狆石(ちんいし)。天皇の愛犬が化したものだとのこと。

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これは御馬石。天皇の愛馬が化したもの。
言われてみれば、犬や馬に見えない事もないかな。

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御陵橋から真野湾、真野宮を望む。
順徳天皇が上陸した真野湾岸の恋ケ浦には、天皇ゆかりの石碑が建ち並びます。

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最後は、郷土研究家である山本修己先生をお招きして、本日巡った真野の歴史について講義して戴きました。

史跡の郷 真野。ただ見て歩くだけでなく、こうして歴史を学ぶと味わいが違います。
これからも健康維持と好奇心を満たすため、佐渡の旅を続けていきます。

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