地域おこし協力隊の募集・採用を佐渡市がはじめてから、すでに3年が経ちました。

初年度に着任した渡辺琢磨くん(小倉担当)、中村暢子さん(高千・外海府担当)、木野本信子さん(海府担当)、新田聡子さん(岩首担当)の4人は、それぞれ2016年の1月・2月末をもって任期を終了します。

いまでは協力隊員の先輩がたくさんいて、佐渡全体や各地域での周知も広がっていますが、着任当初は前例のない「佐渡で最初の地域おこし協力隊」だったことや、ほとんどの方が「都会から地方へ、初めての移住経験」だったこともあり、人知れずいろいろな苦労や驚きもあったようです。

4人の任期終了を記念して、みなさんが佐渡を選んだ理由や、佐渡に来たときの印象、自分が担当して住むことになったそれぞれの地域のこと、そしてこれからの地域おこし協力隊についてなど、「今だから言えること」を、対談形式でお話しいただきました。
なお、進行と記事のまとめは、私・澤村が担当しました。(以下、敬称略)
 
特別企画
佐渡市地域おこし協力隊 一期生対談

「佐渡と地域おこし協力隊について」


なぜ『佐渡』を選んだか 
 
澤村 現在、地域おこし協力隊員は18名です(2016年1月時点)。こんな大人数になるとは思ってなかったのでは?
 
新田 想像してませんでした。もっと細々とやるんだろうと思ってました(笑)。

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・2016年1月21日に開催された隊員活動報告・意見交換会での4人(左から、木野本、中村、渡辺、新田)
 
澤村 みなさん、なぜ「佐渡」だったのでしょう?

渡辺 たまたま地域おこし協力隊についてネットで調べたら、「いちばん初めに佐渡が出てきた」からなんです(笑)。
佐渡について何も知らなかったので、来てからは乾いたスポンジに浸み込むように、佐渡の文化や生活習慣などいろんなものが自然に入ってきて、逆によかったです。

中村 私はもともと「島に住みたかった」んです。
佐渡は東京とも近いので、「まずは行ってみよう」と一人で初めて佐渡に来て、島を回りました。
そのときに買った日本酒(真野鶴)がとてもおいしくて、日本酒がおいしいということは水もおいしいし、食べ物もおいしい。そういうところに住めるのはいいなと。
また、佐渡には便利な町場も田舎もどっちもあるからいいな、と思いましたね。
佐渡での仕事について調べていたら、たまたま協力隊の募集があったんです。

新田 私は、鼓童と、写真家の天野尚さんの写真がきっかけで、学生時代から佐渡に3年通っていました。
学校の休みに鼓童でバイトしたり、天野さんの撮った佐渡の風景を探しに行ったりするうちに「やっぱり佐渡はいいところだな」と思って。
佐渡で社会福祉関係の仕事に就きたくて、就職活動をしたのですが希望が叶わず、ちょうど協力隊の募集を知って、「住んで佐渡について知ってから、福祉の仕事をするのもいいな」と応募しました。

木野本 わたしはもう「朱鷺」しかないです。
朱鷺が好きになって、佐渡に興味をもっていろいろ調べたら、「おもしろそうな島だな」と。
私はずっと東京で広告・宣伝などPRの仕事をしていましたが、「やっぱり地域のことをちゃんと知らないとその地域にあったPRができないな」と思っていました。
佐渡でそういう仕事ができたらいいな、と思い、佐渡に遊びに来て、野生の朱鷺を見て感動して帰った翌日、たまたま協力隊を募集しているのを知って、「これは運命かな」と思って応募しました。
 
澤村 最初から「地域おこし」に興味があったわけじゃなかったんですね(笑)。

自分たちの担当地域について

澤村 みなさんが住むことになった、それぞれの担当地域についてはどうですか?
 
渡辺 小倉地域は山間部で夜はすごく静かで、住み始めたときは怖かったんですけど、慣れれば大丈夫でした。

7-渡辺風景
・多くの人達とともに作業した場所である小倉千枚田。また、作業を通して季節の移り変わりを目と肌で感じることができた場所です(渡辺)

渡辺 私自身が人見知りというのがあって、地域の人たちと打ち解けるまで時間がかかったんですが、打ち解けてしまえばいい人たちばかりで、生活面では困らなかったですね。

中村 高千・外海府地域も夜はすごく静かで、佐渡での生活に慣れるのには時間がかかりました。

2-中村写真2
 ・入崎海岸の海に沈む夕陽と空。毎日違った色をしていて、1日の終わりに見るととても癒される(中村)
 
中村 最初は、「佐渡市の地域おこし協力隊の中村です。東京から来ました!」と地域の人たちに自己紹介しても、なんだ?みたいな感じでしたけども。
「わざわざ佐渡を選んで来てきてくれたんだね!ありがとう」と言ってくれる人もいて、やっぱり佐渡に来てよかったなって思いましたね。
 
新田 「あまり大きくない地域に住みたい」と思っていたので、いい地域に行かせてもらえたなって思いますが、住み始めた当初は、「暮らしも仕事もこの小さなフィールドなんだ」っていう不思議な感覚がありましたね。

6-新田写真2
・仕事の場という意識から、営みの場へと意識が変わっていきました。展望小屋再建祝いで開催した、集落の皆さんとのワークショップが印象に残っています(新田)

新田 隣の人の手伝いをしたり、自治会に関わるようなことをしていたりすると、「地域の一人ひとりのひとたちと話をして、みんなのことを知って、自分のことをみんなに知ってもらうだけで、自分の安心にすごくつながるなあ」って思いました。
東京では、こんなに人との関係に時間を費やしたり、向き合ったりすることはなかったですからね。

木野本 赴任地の鷲崎は、「あまり朱鷺が来ない地域だ」と、配属が決まってから知ったんです(笑)。
でも、「今回の応募を断ったら絶対に後悔する」と思って、佐渡に来ることにしました。

1-木野本写真2
・大佐渡のダイナミックな自然に惹かれました。カンゾウの咲く初夏は特に美しいです(木野本)

木野本 東京ではかなり早いスピードで仕事をしていたので、「しなしな」じゃないけど佐渡のリズムをつかむのは結構大変でしたね。
地域おこし協力隊は仕事とプライベートのON/OFFがわかりにくい部分があるので、地域との距離感をつかむのも結構難しくて、当初はとまどいもありました。
でも、私はずっと頭痛持ちでしたが、佐渡に来てからいつの間にか頭痛薬を飲んでいないことに気がつきました。佐渡の環境や、東京での仕事のプレッシャーから解放されたこともあったんでしょうけど、「佐渡ではすごく人間らしく自然でいられる」と思いましたね(笑)。

協力隊になってから
 
澤村 地域おこし協力隊になってからはいかがでしたか?
 
中村 着任してすぐにTVの取材を受けたんですが、「まだ何も活動していないのに、どうして注目されるんだろう?」と、とても不思議でした。

8-中村スナップ
・関岬放牧場にて。毛並みのいい佐渡牛が放牧されていて、日本海を見渡せる絶景です(中村) 

中村 地域では独身男性が多いということだったので、「婚活イベントやろうよ!」と、当時TV番組の企画で高千地区にいたタレントの渡辺裕太くんを巻き込んで動きました(※婚活イベントの様子はこちら )。
反省点もたくさんありましたが、何か始めてみないと地域の人たちにどう動いていただけるかわからないし、やってみてよかったですね。 

渡辺 私はまず祭りの鬼太鼓に参加しました。
地域の人が鬼太鼓などの芸能をすごく大事にしているのを見て、「地域の人たちの思いを大事にしたい」と強く感じましたね。祭りを通じて地域の若者たちとの結束も深まって、すごくプラスになりました。

3-渡辺写真1
・鬼に扮した同僚の岩崎隊員とともに(渡辺) 

渡辺 あとはやっぱり田んぼです。農業について未経験の自分が、一からいろんな作業に関わらせてもらいました。
すごく新鮮だったし、貴重な経験をしているなと思いました。

木野本 私は鷲崎にある二つの財産、寒ブリとカンゾウを中心に地域と関わってきました。
でも、あくまでも主役は地域で、私たちは「協力隊」です。地域内でバランスをとったり、うまく進むようにレールに乗せたりすることも協力隊に求められていますが、どういう風に盛り上げていくか、とても難しかったですね。

4-木野本写真1
・満開のカンゾウをバックに鬼とパチリ(木野本) 

木野本 大佐渡は、自然や食などとても魅力がある地域ですが、「どんな人が住んでいてどんな祭りがあるか」などの情報発信はまだまだ少ないと思います。
大佐渡の魅力を広く伝えていくことは大事だな、と思って活動していました。

新田 私はずっと地域で瓦版を発行していました。地域全体を配布して回って、地域の人たちと話をすることを毎月続けてきました。
地域では、仕事以外の「人と人とのつながり」がとても大事で、そのつながりがどんどんなくなっていく現状では、いろんな人と話すことはとても必要なことだと感じます。

5-新田写真1
・なんでも知ってるマチばあちゃんと日向ぼっこ(新田) 

新田 地域おこしは誰か一人でやるものでもないし、誰かだけが進んでやることはどうなんだろうって、ずっと考えています。
一般的な仕事をしていたらなかなかできないようなことができたのは、とてもありがたかったですね。

これからの「佐渡市地域おこし協力隊」について
 
澤村 みなさんの地域には、すでに後任の協力隊員の募集が行われています。今後の協力隊については?
 
木野本 協力隊がいない地域では、協力隊が何の仕事をしているのかがわかりにくいし、協力隊全体で連携して実施する、全島レベルのプロジェクトがあってもいいかもしれません。
隊員同士の連携がさらに強くなれば、いろんなことを気軽に話すことのできる相手ができて、環境に慣れずに孤独を感じる隊員も少なくなるでしょうね。
 
渡辺 一人は、ほんとにつらいです(笑)。私の場合は、近くの地域に年齢の近い岩﨑隊員がいたのでよかったです。
 
新田 今後の新しい協力隊員の募集では、地域の特徴や現状を踏まえて、「私たちの地域の協力隊はこんなスタイルがよいのでは」と、よりよい協力隊の関わり方を私たちも示していければいいなと。それが、これから地域ごとや地域間のプロジェクトを生んだり、目に見える活動につながっていったりするのではないでしょうか。
ただ、公私を通じて、各自が「これから佐渡で暮らしてくために、自分の時間を優先する」のか、それとも「地域のための作業をまず優先させる」のか、悩ましいところがあります。
私自身は、両立は難しくて、どちらかを選ばなければいけないと感じましたね。
 
木野本 でも、地域で生活をしていく保証が何もないのは、大きなリスクですね。
「地域を盛り上げよう」とがんばっても、地域で仕事を続けることができなければ、後に残るものは自分の達成感だけになってしまいます。
また、地域活性化よりも、移住施策や人口増加のための地域支援などが強く求められる地域も多いと思いますね。
 
中村 私は任期中にもっと地域間の人の交流を支援すればよかった、と反省しています。交流をしてみないと、ほかの地域のよいところを参考にすることもできませんからね。
 
新田 地域ごとの情報格差をすこしだけ埋めて地ならしをしたり、特定の世代にしかわからないようなことを、私たちを通じてみんながわかるようにしたりすることも、協力隊の役割の一つですよね。
 
中村 協力隊員が間に入って交流を進めていけたら、全島にもいい影響を与えていくんじゃないかな。

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高千の海岸にて(2015年12月に撮影)

中村 私たちがこれから任期を終え、佐渡で暮らしていく中でも、まだ「地域おこし」できることはたくさんあるんじゃないかな、と思います。
これからが大事だし、一人の住人としていろいろ考えてやっていきたいですね。 

 (佐渡市内で2015年末に収録)