元気なお年寄り達で始めた「佐渡を歩こう会」改め「佐渡大人の遠足」。
3月は21日まで「佐渡國相川ひなまつり」が行われ、商店街や民家に古式ゆかしい雛人形が華やかに展示されています。

サブタイトルの「誰も知らない~」は言い過ぎですが、まち歩きでスタンプラリーをするのではなく、冒険大好きなメンバー的にアレンジを施し、ちょっとハードなコースを巡りました。
まずは相川開発総合センターの駐車場で、いつものようにラジオ体操と準備運動を入念に行ってからのスタートです。

最初に立ち寄ったのは大間港。
大間港は佐渡鉱山の鉱石や資材の搬出入を目的に、明治時代に造られた人口の港です。当時の建物や設備の多くは撤去されてしまったのですが、護岸などに当時の雰囲気が残されています。

そのまま海沿いの県道を歩いて相川漁港の千畳敷を目指します。

新潟県のホームページで、「海辺に突き出た平たい岩礁地帯を千畳敷とよび、江戸末期には「相川八景」の一つに挙げられ、物見遊山の客で賑った」と紹介されていますが、荒波にもまれた観月橋も錆びついて物悲しい風情となっております。
引続き海沿いを歩き鎮目(しずめ)奉行のお墓と弁慶のはさみ石へ。

鎮目市左衛門は、元和4年(1618)~寛永4年(1627)まで佐渡奉行をつとめ、金山復興に力を注ぎ歴代の佐渡奉行のなかでも名奉行として今日に伝わっています。
その脇に聳える通称弁慶のはさみ岩。
なんでも「佐渡弁慶」とよばれた島一番の力持ちが鬼と力比べをした際、地獄谷あたりから投げた岩が相川のここまで飛んできて挟まったとのこと。
普通は県道側から見て終わるのですが、冒険好きの皆さんは海側から見なければ気がすみません。


この辺りは石切り場で、近くの石切町の職人が奉行所などの石垣を築いたそうです。
その石切町にある百足(ムカデ)山大権現へ。

長い石段は上に行くほど急峻になり足場も悪くなります。

この辺りの鉄の手すりは錆落ちていますので、参拝される方は十分注意してください。
ここから郷土博物館に向かう途中に水金遊郭跡があります。この上流に昔水銀を使用して精錬した場所があり、水金はそれに由来した地名だとのこと。

郷土博物館の手前で法泉寺に向かう林道に入るとすぐに良寛の母の石碑があります。

「たらちねの 母がかたみと あさゆふに 佐渡が島べを うち見つるかな」
メンバーの一人が、石碑に書かれた良寛の佐渡を詠んだ和歌を読み上げてくれました。
良寛自身は佐渡に渡ることはなかったのですが、越後より佐渡を眺め、母の故郷を懐かしんだということです。
その後長い石段を登り法泉寺に向かいます。

残念ながらこちらの涅槃図は鑑賞することが出きませんでした。
「涅槃図は江戸時代の大変貴重な物もありますので、展示に関しては期間などを限定して公開しております。」とのことですので、事前に確認したほうが良いでしょう。
次に向かったのは帯刀坂を登って北沢地区へ。
それにしても、相川は坂が多い。。
このあたりからちょっと泣きが入ってきました。

明治以降、佐渡鉱山全体の一大拠点となった北沢地区施設群。

何度か車で訪れたことはあるのですが、歩いてたどり着くといっそう壮大な感覚があります。
佐渡奉行所と版画村は横目で見ながら米街庵へ向かいます。

米街庵では、メンバーの方が製作した「やわらぎ神事」の版画が展示されていました。
「やわらぎ」とは江戸時代から佐渡金山に伝わる独得の神事芸能です。
山の神の心を和らげるとともに、鉱脈が軟らかくなることを祈り、手堀りによる採掘が容易で安全に行われ、間歩の大盛が続くようにという金穿大工達の願いが込められている、とのことです。

午前(と言っても1時を回ってしまいました)の最後は大久保長安が創建した大安寺。
ここから望む街並みも趣きがあります。

ここでやっと昼食。
いつもは屋外で持参のお弁当を食べるのですが、今回は街歩きということで天領通り商店街のたておかさんにお邪魔しました。
きらびやかなお雛さまの前で、負けないくらい(?)元気な女性陣です。

おいしい食事で空腹を満たした後は、松榮さんの展示品を鑑賞。
お人形も立派なのですが、江戸時代から代々廻船問屋として栄えた松榮家の堂々たる建物の中に入ることができたのも感動ものです。

ここからスタート地点に戻り、車で大乗寺へ。
境内中央の梅が見事です。

こちらで涅槃図を見せて戴き、住職のお話しも聞くことができました。

上に太子堂があるということで、長い階段を登っていきます。
坂道ばかりで相当足腰に来ているのですが、皆さんの好奇心を止めることは出来ません。

丘の頂上に四国八十八ケ所の石仏の円陣に囲まれ太子堂が建てられているのですが、残念なことに天井も落ち、朽ち果てる寸前となっています。
若い人が少なくなり、長い階段の上にある史跡を維持していくのは大変なことだと思います。

長くなってしまいましたが、さすが佐渡金山と奉行所がおかれた佐渡国の中心地。
これ以外にも見どころはたくさんあります。
しかし、坂道と階段の多い町ですので、こうして歩き回ると所々荒れ果てた部分が見えてきます。
すべてを保存して行くのも難しいことではありますが、少しでも多くの人々が興味を抱き訪れてくれることが大切だと思います。
皆さんも、健康維持と好奇心を満たすため、佐渡を歩いてみませんか?

3月は21日まで「佐渡國相川ひなまつり」が行われ、商店街や民家に古式ゆかしい雛人形が華やかに展示されています。

サブタイトルの「誰も知らない~」は言い過ぎですが、まち歩きでスタンプラリーをするのではなく、冒険大好きなメンバー的にアレンジを施し、ちょっとハードなコースを巡りました。
まずは相川開発総合センターの駐車場で、いつものようにラジオ体操と準備運動を入念に行ってからのスタートです。

最初に立ち寄ったのは大間港。
大間港は佐渡鉱山の鉱石や資材の搬出入を目的に、明治時代に造られた人口の港です。当時の建物や設備の多くは撤去されてしまったのですが、護岸などに当時の雰囲気が残されています。

そのまま海沿いの県道を歩いて相川漁港の千畳敷を目指します。

新潟県のホームページで、「海辺に突き出た平たい岩礁地帯を千畳敷とよび、江戸末期には「相川八景」の一つに挙げられ、物見遊山の客で賑った」と紹介されていますが、荒波にもまれた観月橋も錆びついて物悲しい風情となっております。
引続き海沿いを歩き鎮目(しずめ)奉行のお墓と弁慶のはさみ石へ。

鎮目市左衛門は、元和4年(1618)~寛永4年(1627)まで佐渡奉行をつとめ、金山復興に力を注ぎ歴代の佐渡奉行のなかでも名奉行として今日に伝わっています。
その脇に聳える通称弁慶のはさみ岩。
なんでも「佐渡弁慶」とよばれた島一番の力持ちが鬼と力比べをした際、地獄谷あたりから投げた岩が相川のここまで飛んできて挟まったとのこと。
普通は県道側から見て終わるのですが、冒険好きの皆さんは海側から見なければ気がすみません。


この辺りは石切り場で、近くの石切町の職人が奉行所などの石垣を築いたそうです。
その石切町にある百足(ムカデ)山大権現へ。

長い石段は上に行くほど急峻になり足場も悪くなります。

この辺りの鉄の手すりは錆落ちていますので、参拝される方は十分注意してください。
ここから郷土博物館に向かう途中に水金遊郭跡があります。この上流に昔水銀を使用して精錬した場所があり、水金はそれに由来した地名だとのこと。

郷土博物館の手前で法泉寺に向かう林道に入るとすぐに良寛の母の石碑があります。

「たらちねの 母がかたみと あさゆふに 佐渡が島べを うち見つるかな」
メンバーの一人が、石碑に書かれた良寛の佐渡を詠んだ和歌を読み上げてくれました。
良寛自身は佐渡に渡ることはなかったのですが、越後より佐渡を眺め、母の故郷を懐かしんだということです。
その後長い石段を登り法泉寺に向かいます。

残念ながらこちらの涅槃図は鑑賞することが出きませんでした。
「涅槃図は江戸時代の大変貴重な物もありますので、展示に関しては期間などを限定して公開しております。」とのことですので、事前に確認したほうが良いでしょう。
次に向かったのは帯刀坂を登って北沢地区へ。
それにしても、相川は坂が多い。。
このあたりからちょっと泣きが入ってきました。

明治以降、佐渡鉱山全体の一大拠点となった北沢地区施設群。

何度か車で訪れたことはあるのですが、歩いてたどり着くといっそう壮大な感覚があります。
佐渡奉行所と版画村は横目で見ながら米街庵へ向かいます。

米街庵では、メンバーの方が製作した「やわらぎ神事」の版画が展示されていました。
「やわらぎ」とは江戸時代から佐渡金山に伝わる独得の神事芸能です。
山の神の心を和らげるとともに、鉱脈が軟らかくなることを祈り、手堀りによる採掘が容易で安全に行われ、間歩の大盛が続くようにという金穿大工達の願いが込められている、とのことです。

午前(と言っても1時を回ってしまいました)の最後は大久保長安が創建した大安寺。
ここから望む街並みも趣きがあります。

ここでやっと昼食。
いつもは屋外で持参のお弁当を食べるのですが、今回は街歩きということで天領通り商店街のたておかさんにお邪魔しました。
きらびやかなお雛さまの前で、負けないくらい(?)元気な女性陣です。

おいしい食事で空腹を満たした後は、松榮さんの展示品を鑑賞。
お人形も立派なのですが、江戸時代から代々廻船問屋として栄えた松榮家の堂々たる建物の中に入ることができたのも感動ものです。

ここからスタート地点に戻り、車で大乗寺へ。
境内中央の梅が見事です。

こちらで涅槃図を見せて戴き、住職のお話しも聞くことができました。

上に太子堂があるということで、長い階段を登っていきます。
坂道ばかりで相当足腰に来ているのですが、皆さんの好奇心を止めることは出来ません。

丘の頂上に四国八十八ケ所の石仏の円陣に囲まれ太子堂が建てられているのですが、残念なことに天井も落ち、朽ち果てる寸前となっています。
若い人が少なくなり、長い階段の上にある史跡を維持していくのは大変なことだと思います。

長くなってしまいましたが、さすが佐渡金山と奉行所がおかれた佐渡国の中心地。
これ以外にも見どころはたくさんあります。
しかし、坂道と階段の多い町ですので、こうして歩き回ると所々荒れ果てた部分が見えてきます。
すべてを保存して行くのも難しいことではありますが、少しでも多くの人々が興味を抱き訪れてくれることが大切だと思います。
皆さんも、健康維持と好奇心を満たすため、佐渡を歩いてみませんか?

コメント
コメント一覧 (2)
参加できなく残念でしたが、またいつかご一緒させてください。
これから気候も良くなりますので、参加お待ちしております。
後藤さんのおかげで立派な会報ができそうです。
50回、100回と続けて佐渡のウォーキングの楽しさを広めて行きたいです。
コメントする