佐渡市地域おこし協力隊サイト

佐渡市地域おこし協力隊全メンバーによる活動報告のサイトです

佐渡市地域おこし協力隊サイト

文化/伝統

読者の皆さんこんにちは。
小木町地区担当の奥野です。

私は今夏、期間限定で小木の常駐ガイドを務めています。
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ガイドをする中でお客さんの反応が良いスポットがいくつかあるのですが、
その中でも上の番所と三味線堀、汐通しの堀切は外せません。

上の番所とは奉行所の出先機関のことで警備や見張り等を行っていました。
また、当時は積み荷の十分の一を税として徴収していたそうです。
上の番所
↑今は看板が立つだけとなっているがこの一角に番所があった

ただ、この場所は海岸線から離れており、船の荷を確認するには不便そうです。
実際に案内をすると皆さんが同じ感想を抱かれます。

実は番所が建った当時はすぐ目の前が海でした。
しかし、1802年に起きた地震によって隆起が起き、海岸線は40mほど後退しました。

その後、不便になってしまった湊を何とかすべく“三味線堀”が作られます。
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小木湊古絵図(文化年間作成、個人蔵、市指定文化財、一部拡大)

三味線堀のおかげで町は再び活況を呈し、最盛期を迎えることとなります。

後に堀は埋められ“浜町”と言われる地区が誕生しました。
花街として栄えたところで、300人もの芸者がいたと伝わります。

今でも地震前の海岸線の名残や堀の形をした通り、花街当時からの建物が残っています。

続いて紹介するのが汐通しの堀切です。
そもそも小木が港町として栄えたのは、2つの湾を有していたからだと言われています。
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↑2つの湾の間に城山があることでどの方向からの風にも対応ができた
(出展:国土地理院の航空写真、1963年撮影)

ただ、急に風向きが変わったときには城山を迂回して反対側へ避難しなければなりませんでした。
そこで安全に避難ができるよう掘られたのが“汐通しの堀切”です。

1671年、城山の付け根を開削し、幅7間半(約14m)の堀が完成しました。
城山を除く一帯は泥岩でできていたため、このような工事が可能だったようです。

江戸から明治にかけての小木は、金銀の積出港に始まり、西廻り航路の寄港地として、また北前船の拠り所として絶えず変化をしていくことになります。
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↑船乗りの信仰を集めた木崎神社に奉納された船絵馬

私はそんな小木の町を勝手に佐渡のベネチアと呼称しています。
ブラタ○リで紹介してもらえないもんでしょうか・・・

冗談はさておき、過去に思いを馳せるのは良いものです。
小木に来た際はぜひガイドをご利用ください!

読者の皆さまこんにちは!
小木町地区担当の奥野です。

2年間かけて行われた保存対策調査が終了し、
先日報告会が開催されました。
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この調査は小木町の町並みが持つ歴史的価値を明らかにし、
保存と活用に向けた基礎資料を作成することを目的として実施したものです。

当日は100名近くの方にお越しいただいた中、
調査を担当した奈良文化財研究所の福嶋敬人氏より報告がありました。

説明の内容をまとめたものを広報誌第7号として4月に発行予定です。
広報誌7号_オモテ
広報誌7号_ウラ

今回の調査で明らかになった価値を基に、
佐渡市では小木町地区を“伝統的建造物群保存地区”に指定します。

そのためにはエリアの選定や補助率の決定、
特定物件(歴史的建造物)所有者の同意といったプロセスが必要です。

最終的には“重要伝統的建造物群保存地区”への選定を目指して国に申出を行うことになっています。

私はというと、空き家の所有者に町並み保存の取り組みをお知らせすべく、
近隣住民を頼りに連絡先の把握を進めています。

Aさんに聞くと「○○町のBさんなら分かるかも」
Bさんに聞くと「たしかCさんが知っとるっちゃ」

・・・と1軒の情報を得るのにも中々苦労しますが、
探偵になった気分で楽しく取り組んでいます。

何より「頑張っとるな」「ようやってくれとるっちゃ」と言っていただけることが嬉しいです。

最後に・・・
今回刊行された『佐渡市小木町伝統的建造物群保存対策調査報告書』には、
連続立面写真という町並みを連続で写した写真が掲載されています。
「連続立面写真」P26_page-0001
伝建地区になって10年、20年が経ち、修理・修景が進んだ町並みと、
この写真を見比べると変化が如実に表れているはずだと妄想してワクワクします。

活動が産声を上げてから今日までには多大な労力を要しましたが、
ようやくスタートラインに立てたに過ぎません。

これからはさらに多くの人が関わり、知恵を出し町を動かしていくはずです。
皆さんも小木の町のこれからに注目(関わるとなお良し!)してみてはいかがでしょうか。

読者の皆さまこんにちは!
小木町地区担当の奥野です。

佐渡市地域おこし協力隊では月に2回、
隊員が集まって情報交換をする場を設けています。

第2週の火曜日は各隊員の任地で、
第4週の火曜日は市役所で実施する決まりです。
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↑今回の会場となった「甲州屋」大正11年築の町屋をリフォームした建物

市役所でのミーティングでは担当隊員が活動報告をします。
先月は私が発表の担当でした。

発表の中で取り上げたグッズ製作および販売についてお伝えします。

町並み保存の取り組みには資金が欠かせません。
会議の開催や講師の招聘、広報誌の発行などで年間数十万円のお金が必要となります。

佐渡市の補助金や商工会の負担で賄っている部分が大半ですが、
一部自己資金も用意しなければなりません。

そこで今年企画したのが、
サコッシュとガイドブックのセット販売です。
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買ってそのまままち歩きへ出かけてもらおうと、
ちょうど良いサイズ感になっています。

サコッシュには小木町の花であった岩百合をあしらいました。

ガイドブックは「あるかんか佐渡 しま歩きガイドブック」シリーズの1冊として、
発行元である「チームさど和談団」と協力をして作成しました。

町の見どころを25か所ピックアップし、
豊富な解説とともに歩くルートを示しています。
琴平神社
↑掲載箇所のひとつ「琴平神社」門前に歌舞伎小屋があった

小木の魅力がぎゅっと詰まった自信作です。
これを持って町を歩けば、どっぷりと小木の魅力に浸ることができます。

売れ行きも非常に好調で既に初回製作分が完売し、
慌てて追加発注を行いました。

このガイドブックを使ったガイドツアーも実施しています。

この取り組みを通して小木の魅力を知ってもらう機会が増え、
さらに資金調達もできたということでまさに一石二鳥でした。

お買い上げいただいた皆さまありがとうございました。

上記セットは南佐渡観光案内所にて2000円で販売中です。
数量限定ですのでお早めにどうぞ!!

読者の皆さんこんにちは。
小木町地区担当の奥野です。

今年も残すところあとわずかとなってまいりました。

今回は町並み保存(≒重伝建選定)に取り組むうえで、
必要不可欠な保存対策調査についてお伝えします。

小木町地区では歴史ある町並みを後世に残そうと、
おぎ町並み保存推進委員会が中心となって町並み保存活動に取り組んでいます。
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↑住民への聞き取りの様子。小さい頃は芸者がまだたくさんいたとのこと。

こうした住民活動の盛り上がりを受けて、
佐渡市では今年から来年にかけて保存対策調査を実施することになりました。

保存対策調査とは、以下の目的で行われるものです。

①小木町の歴史的価値をらかにする
②保存と活用をしていくための方策を示す


佐渡市が小木町地区を伝建地区に指定するには、
この調査によって価値が認められなければなりません。

伝建地区の先輩方(福島・大内宿、埼玉・川越、岐阜・白川郷など)がみな通ってきた道です。
もちろんお隣、宿根木も昭和55年度に調査を経験しています。
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↑最終的に作られる報告書。100ページを超える厚みがある

第1回の調査では、奈良文化財研究所の調査員3名が小木町内1,330棟すべての外観を調べ上げました。
(私も同行したのですが、4日間ほぼ歩きっぱなしで総歩行距離は20キロ超え・・・)

外見からおおよその建築年代を算出する技術は流石のものでした。

続いて第2回、第3回の調査では外観調査によって絞り込んだ物件の内部調査を実施しました。

①図面の作成
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↑柱の1本1本に至るまで丁寧に計測していきます。

②所有者への聞き取り
見ただけではわからない家の歴史を聞き取ります。
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↑話をしているうちに昔のことを思い出す場面も。

③写真の撮影
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こういった調査の積み重ねで、小木の建物や町並みが持つ特徴を明らかにしていきます。
同様の調査を来年度末にかけて、あと5,6回実施する予定です。

重伝建選定という目標に向かって必要な調査ではありますが、
それ以上に調査をきっかけとして文化や歴史が掘り起こされること、
地域に関心を持つ人が増えていくことに意義を感じています。


~文化庁調査官との意見交換会での一幕~

あるお母さんの言葉
正直、町並みがどうとかはよくわからないけど、最近は娘のほうが詳しいみたいです。学校の授業で習ったとかで案内をしてくれました。将来、都会に出たときに、友達を連れてきたくなるような町になっていったら嬉しいと思っています。

ある大工さんの言葉
「若い人が住む家を施工するのはとてもやりがいがある。町並み保存を通してもっともっと増えていってくれたら。」


読者の皆さんこんにちは。
小木町地区担当の奥野です。

小木が江戸時代から栄えた歴史ある港町だということを、
以前の記事でお伝えしました。

そんな歴史ある町並みの中でも、
特に昔の姿をよく残す建物がいくつかあります。

その中から見るべき!建物をいくつか紹介します。

まずは、金子屋です。
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小木どころか佐渡中でも珍しい店と蔵が一体となった建物です。
重厚感のある佇まいが小木の町並みを引き締めているように感じられます。

こうした様式は「見世蔵」と呼ばれ、商都や宿場町に多く残されています。

火事の多かった小木で商品や家財を守るための工夫でしょうか。

昔は「金子屋百貨店」の名で書籍や雑貨までを扱っていました。
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↑先代のころ使っていたという金子屋百貨店の名が入ったかご。

「創業は110年前のことです。もう店の歴史の半分以上が私の代になりました。」
店主の金子豊太郎さんがこう語っておられたのが印象的でした。


続いて紹介するのは、北村薬品です。
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こちらの建物が建ったのは小木では比較的新しい昭和11年のこと。
他にはない洋風な外観が目を惹きます。

中に入ると表構えからは想像できないクラシカルな空間が広がっています。
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↑ステンドグラスは建築当初からある年代物。イタリア製。

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↑銭湯の番台のような帳場がお客さんを出迎える。

店主の北村玲子さんは古いものが好きで、
この建物をとても気に入っていると語ってくれました。

最近、お孫さんが「この家は好きだから売らないよ」
と言ってくれたことが嬉しかったそうです。


以上、「金子屋」と「北村薬品」の紹介でした。

幾度もの大火を経験し、その度に財を失いながらも復興してきた小木町。
今も当地に息づく、先人たちの不屈の精神を感じてみてはいかがでしょうか?

読者の皆さまこんにちは。
小木町地区担当の奥野です。

小木が江戸時代から栄えた歴史ある港町だということを、
以前の記事でお伝えしました。

そんな歴史ある町並みの中でも、
特に昔の姿をよく残す建物がいくつかあります。

今回はそんな見るべき!建物をいくつか紹介します。

まずひとつ目が、喜八屋旅館旧館です。
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小木町の入り口に位置しており、訪れた人は目を奪われること間違いなしです。

現在の建物が建てられたのは明治38年のこと。小木大火の翌年でした。

当初2階建てだったこの建物は、昭和4年に5階建てへと増築されました。
増築によって、景勝地である矢島経島を眺めることができたと言われています。

中に入ると、吹き抜けと共に帳場や囲炉裏が残されており、旅館だったころの面影を感じることができます。※2階以上は消防法により公開しておりません。
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平成18年に国の登録有形文化財として登録されました。

現在は1階部分のみカフェとして営業をしております。

赤泊のカニを使ったピザや、小木の野草で作ったコーラなど、
佐渡を感じられるメニューが豊富に揃っています。


続いて紹介するのが、鍋屋です。
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※現在居住中です。内部見学はできません。

小木のメインストリートのほぼ中央に位置するこの家は、間口が大きいことが特徴です。
旧喜八屋旅館と同じく、明治38年頃に建てられました。

江戸時代、幕府は間口税というものを設けて財政難を克服しようとしました。
そのため、当時は間口が狭く、奥に長い住居が一般的でした。

小木町は江戸時代の地割を良く残しているため、
現在でもそうした家が多く見られます。

そんな中、鍋屋がこれだけの間口を維持できたのは、
代々廻船問屋を営む名家だったからです。
主に越中(今の富山県)の船を相手にしていました。

また、越佐初の定期船「占魁丸」の運行に尽力したことでも知られています。


以上、「喜八屋旅館旧館」と「鍋屋」の紹介でした。

幾度もの大火を経験し、その度に財を失いながらも復興してきた小木町。
今も当地に息づく、先人たちの不屈の精神を感じてみてはいかがでしょうか?

始めまして、達者協力隊の山本です。
ブログの発信が遅くなってしまい申し訳ありません。

達者を発信するならズバリ目洗い地蔵の話しかないとおもいました!
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(目洗い地蔵尊)

この地では、盲目となった母が山の横から出てくる清水で目を洗った所、目に光が与えられたと言う、目洗い地蔵尊がまつられています。地蔵尊の右手の山を登ると姿見の井戸がそのまま残っています。

その水を使い毎週火曜日と金曜日はお風呂が炊かれており、とても気持ちの良いお風呂があります。誰でも入っていいという事で、私も入ってみたのですが五右衛門風呂という事もあり、芯まで温まり疲れが普通のお風呂より取れる感覚がありました。

引っ越しできたばかりの頃は水を使えず目洗い地蔵のお風呂に助けられた経験もあり凄くこのお風呂が好きになっています。

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(お風呂を沸かしている所)
是非、五右衛門風呂に皆さんも入りに来てはいかがでしょうか?

また、8月23日になるとお団子を作り、お菓子をそえてお地蔵祭をしています。

次回はお地蔵祭を記事にできればと思っていますので今しばらくお待ち下さい😆


読者の皆さま初めまして!小木町地区担当の奥野です。
今回は私の活動地域および活動内容についてご紹介します。

佐渡市小木町は島の南西に位置する港町です。

江戸時代には金銀の積出港として、
また北前船*1の寄港地として栄えました。

当時は入船千艘、出船千艘と称えられ、
町はその賑わいから“不夜城”と形容されたとか。

現状からはちょっと想像できませんが、
タイムマシンに乗って見てみたいものです。

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小木を中心とした航海図↑

そんな歴史ある町並みを後世に伝えようと、
重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)*2
の選定を目指す取り組みが始まりました。

住民、行政、議会が一体となって進める中、
2018年には「おぎ町並み保存推進委員会」が発足しました。

そこにちょっとスパイスを、と呼ばれたのが私です。

町並みの保存、活用に関わる企画や事務、PRを担っていきます。
良い味に仕上がるよう、上手く地域をかき混ぜることができるのか?!

乞うご期待を。


*1 江戸期に大阪と北海道を日本海周りで往復していた商船のこと。
決まった商品を運ぶのではなく、各地で積み荷を売買したところに特徴がある。
北前船 KITAMAE 公式サイト

*2 国が指定する文化財のひとつ。
建物を点ではなく面(景観)として捉え、保存しようとするもの。
港町、宿場町、茶屋町、城下町などの種別に分けられる。
全国伝統的建造物群保存地区協議会[伝健協]


こんにちは、和風雑貨が大好物な渋谷です。

 

みなさん、「裂織(さきおり)」って知っていますか?

私も佐渡に来て初めて知り、「なんだそりゃ?」と思ったものです。

 

そんな時に地域の方に頂いたのが、この裂織の名刺入れです↓
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かわいい!ですよね!

一目見て、裂織に心を奪われてしましました。

最近は名刺入れを見せびらかしたいがために、名刺を配っているようなものです。


「裂織ってどうやって作るんだろう?」

「どういうものか知りたいな」

 

というように思い、赤泊地区外山部落の裂織制作チームの『綾の会』の

加藤さん・除さんお二人のお宅を訪ね、お話を聞いてきました。

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裂織は古くから伝えられてきた、佐渡で盛んな伝統工芸品です。

数は少ないけれども日本中で続いている工芸で、全国大会もあります!

 

昔は一家に1台、農作業の合間に女性がコツコツと織っていました。

特に冬は家にこもり、せっせと織っていたそうです。

織り方はというと・・・↓

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機織り機に縦糸を張り、横に裂いて1センチほどの棒状にした布を通します。

足で縦糸の上下を踏みかえ、トントンと手前に叩いて布を寄せて織っていきます。


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裂織はトントンと強く布を寄せて織るため、1/3くらいに凝縮され、

丈夫な布になるのです。

昔は作業着・荷物を背負う肩や背中の当て布にされていました。


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現在は、服はもちろん、ポーチ、カバン、飾り絵、ブックカバー・・・

アイディア次第で何でも作ることができます。

 

裂織はすべて手作りで、同じものが2つとできない一点もの!

和風な小物が好きな人にはオススメです♪

和服に合わせて、カバンや小銭入れを持ってもオシャレですよね。

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裂織に使用している布は、基本はボロになった布です。

汚れた着物、擦り切れた布団カバー、着古した浴衣・・・

そんな「使えなくなった布」を再利用できるんです!

 

しかし現在はボロでなく、良い着物を裂いて使うこともあります。

着なくなってしまい、捨てることもできずタンスに入りっぱなしになっていた
お母さんやおばあちゃんの思い出の着物。
行き場のなかった着物を裂織にリメイクすることで、再び命が吹き込まれ、
違う形で使い続ける、心温まるようなオーダーメイドの依頼も来るそうです。


模様もいろいろ!↓
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裂織は縦糸、布、織り方で、思い思いにデザインできます。
 

ランダムに色を入れていく、市松模様、グラデーション・・・

応用して、波打つような不思議な模様や、螺旋を描く高等テクニックまで!

もちろん、生地の元の模様をそのまま生かすこともできます。

 

アイディア次第で可能性無限大です!


これが縦に張っている糸です↓写真 2017-05-12 13 29 43

裂織の縦糸を貼るのは難しく、1日がかりの大変な作業なんだそうです。


何百本もの縦糸を張り、上下に動くように一本ずつ白い糸で機械に吊るしていく、

地道で長い作業なんです。

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 しかし、織るだけなら簡単!小学生でもできます。

 

佐渡島内いくつかの観光施設で、体験できます。

器用な子だったら、1時間で30センチ近くも織るんだとか・・・!


ということで、私もやってみました↓写真 2017-05-12 15 18 58

除さんのお宅では、模様の織り込みのお手伝い。

不器用で縦糸に棒をひっかけ切りそうになりながらも、何とか織ることができました!

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加藤さんのお宅では、自分で横に織り込む布を選んで、デザインもしてみました。

時間も忘れて、集中して織っていました。

しかしまぁ、色のセンスが・・・足りない・・・(笑)

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できた裂織は、普通の布と同じように切って、ミシンで縫って製品にします。

私は裁縫がからっきししなので、加藤さんにお任せしました。

 

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作品になって手元に届くと、愛着もわくものですね。

次はデザインを考えて、布も持参で行こうかな!

冬の楽しみができてうれしい限りです。


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裂織は新潟ではなかなかお目にかからないですよね。

佐渡ではスーパーや直売所など、いろんなところに置いているんですよ。

 

モダンなデザイン、渋いデザインもあるので、老若男女誰でも使えます。

お土産にもいかがでしょうか?

 

赤泊地区では、サンライズ城が浜で作品の販売と裂織体験をしています。

佐渡に来たらぜひオリジナルの裂織グッズを作ってみてくださいね~

http://www.akadomari.com/plan/handmade

 

5月21日、快晴の日曜日。
北鵜島集落において「車田植」が行われました。

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車田植が行われる田んぼ


北鵜島の北村家に代々伝わるもので、毎年5月の田植の最終日、大安の日に行われています。
ぐるぐる車輪のように広がってゆくように苗を植えるため、「車田植」と呼ばれており、日本の田植の古い型を長い長い歴史と共に現代に受け継いでいます。
昭和53年には、国の重要無形民俗文化財に指定されました。

以前は日本各地でみられていましたが、現在はここ佐渡市と岐阜県高山市だけに残されています。

そんな貴重な車田植の準備から当日までをご紹介します。


こちらが車田植の習わしを守り続けている北村佐一さん。
北鵜島にある民宿「やま佐荘」のご主人でもあります。
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前日に当日植える苗の苗縛りを行います。
稲わらを用いぐいっと苗を縛ります。
これ覚えておくと何を縛るにしてもいろんなのに代用できるよ~
なんせ稲わらだとタダだからね~と佐一さん。
カンゾウの苗も同様の縛り方です。去年より少しうまく縛れるようになったような・・・
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二人で縛り続けようやく完成。
苗が乾くのを防ぐために田んぼに沈めて帰ります。


翌日。
当日の朝5時より、関係者や来場者に振る舞うためのおにぎりを握ります。
北村さんのご姉妹が、来てくれた方のために毎年準備しています。
今年も100個以上の赤飯や白米のおにぎりを握りました。

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お姉さんの山岸美幸さんは車田植の田植唄の唄い手でもあります。
去年は少し体調を崩されていたようでしたが、今年はとてもお元気そう。
辛そうだった喉も今年はばっちりのご様子。
無形文化財に登録された頃からおにぎりなどを振る舞っているそうですが、やはり準備は大変なようで、体調が悪くなったら振る舞いはできなくなるかもなあ・・とおっしゃっていました。

このおにぎり三個と三把の苗、お神酒を北村家の神殿に供え、礼拝して豊作を祈ります。
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その後、車田植が行われる田んぼへ移動します。
車田植の開始まで、唄い手も早乙女も田んぼで待機中。
早乙女は、佐一さんのご姉妹や近隣集落の方など毎年決まった方がされているそうです。

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佐一さんもポーズ!(ちょっとぶれてます・・)
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9時より車田植の儀式が始まりました。
礼拝し、田へお神酒を供えます。

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神殿に供えられていた三把の苗を一把ずつ3人の早乙女に渡します。
早乙女が車田の中央に集まり、その苗を三つがまえに植えます。
この中心に田の神様がおりてくると言われています。

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その後はそのまわりに一株、二株、三株と後ずさりしながら植えていきます。
畦では先ほどおにぎりを握っていた美幸さんが田植唄を唄います。

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よく伸びるとても素敵な歌声です。
唄と一緒に車田植も進んでいきます。
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美幸さんは田植唄の他に海府甚句なども織り交ぜながら唄を唄ってくれました。
唄を唄うと素朴な気持ちになるんだよ~、昔の曲は素朴な歌詞ばかりなんだよ~と美幸さん。
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目の前に海と青空が広がる田んぼからの景色は、本当に美しいです。
空にはつばめがたくさん飛び回っています。

マスコミの方もたくさん取材に来ていました。
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この日は佐渡島内でロングライドも開催中でした。
参加者の皆さんも何名か見学に来てくれました。
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大勢のマスコミに囲まれるロングライド参加者の方


車田植終了後、参加者におにぎりやおかずが振る舞われます。
今日のおかずはきゅうりのからし漬け、たくあん、スゲナの佃煮、塩イカ。
田んぼでみんなで食べるおにぎりやおかず、とってもおいしいです。
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佐一さんも早乙女の皆さんも並んでおにぎりを食べています。
大変お疲れ様でした。

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たくさんの唄を知っていて、唄が大好き。素敵な唄声を聞かせてくれた美幸さん。
早乙女として40年、田植唄を唄って約10年の大ベテランです。

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この田植唄を途絶えさせたくない、引き継ぎ残していきたいと強くおっしゃっていました。
今後、妹さんへ引き継いでいきたいという気持ちをお持ちのようでした。

北村家の皆さんにとって、車田植の習わしは手間や労力がかかるものであることも事実です。
実際、去年今年と二年続けて立ち合い、体力的に辛そうな場面を何度か見かけることもありました。
それでも、大勢の人達に囲まれて車田植について話す顔は皆さんとても嬉しそうで、誇らしげで、そんな姿はとてもかっこいいなと思います。
こうやって家に代々続く習わしをずっと守り、続けてこられていることは単純にやっぱりすごいことです。

辛い部分はあっても、こうやって見に来てくれる人がいて、伝えられることが原動力になり、また来年もやろうという気持ちに繋がっているのかな、とそんな姿を見て感じていました。

北鵜島の車田植は毎年5月中旬、大安の日に行われています。
北村家の皆さん、早乙女の皆さんの勇姿をぜひいつか見に来てくださいね。
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外海府の矢柄(やがら)という集落には、とても小さな薬師堂があります。
観光名所になっているわけでもなく、ガイドブックにも載っていないような、
小さな、小さな薬師堂です。

あえて、この薬師堂の記事を書きたいと思う出来事がありました。

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矢柄の薬師堂では、毎年旧暦の3月8日に、護摩焚き法要を行っており、昨日がちょうど、それにあたる日でした。


2年前、私が着任したばかりの頃にも、その体験の一部始終をこのブログで書かせていただいたことがありました。
こちら↓
http://sado-chiiki-okoshi.blog.jp/archives/1025736118.html

今回お伝えしたいのは、この薬師堂で行われている「33年に1度の御開帳」のことです。

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<矢柄の薬師堂>


相川地区で「33年に1度」を行っているのは、金泉は姫津集落の薬師堂と、ここ外海府の矢柄集落のみだそうで、矢柄集落の御開帳は、再来年に迫っています。

金泉・姫津集落の薬師如来御開帳のブログはこちら↓
http://sado-chiiki-okoshi.blog.jp/archives/1056018617.html


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<矢柄の薬師堂/金色の幕の向こうにお薬師さんが・・・>


今回なぜ、再来年という少し先の告知を書いたかというと、
単純に、私の任期終了までに間に合わないからです。

来年の今頃には協力隊ではなくなり、告知記事をここに書けるのが、今年で最後というわけです。

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<お祝いに欠かせない団子>


姫津集落での御開帳の記事を見ていただくと分かる通り、
33年に1度となれば、それはそれは盛大なお祝いとなるわけです。

矢柄集落でも、お坊さん数名にきていただき、盛大にお祝いをする・・・・・
そうなのですが、矢柄集落は、15軒ほどの小さな集落、いわゆる限界集落です。

外海府には「限界」とよばれる集落が多いのですが、私自身、その言葉で集落を表現することに抵抗を感じていたこともあり、あまり使わないようにしていました。

しかし、矢柄集落が33年に1度のお祝いをするにあたり、集落外からの応援も必要だなと感じることがありました。

それは、単刀直入にいうと、お金です。

何事においても、気持ちだけではどうにもならない事ってあると思うんです。
等身大の表現も大切ですが、ここぞ、という時もあるように思うのです。

矢柄集落での33年に1度のお祝いを、一人でも多くの人に見てもらいたいという気持ちと、
外海府のくらしの美しさのようなものを、垣間見る機会になればという想いがあります。


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<美しい矢柄の浜>


矢柄の薬師堂で行われる「33年に1度の御開帳」は、再来年、旧暦の3月8日です。

もう一度。


再来年 旧暦 3月 8日 で す。


是非、是非、その日は気持ちばかりの御祝いを握りしめて、矢柄集落へお越しください。

その日よりも前に、御祝いを握りしめて、矢柄の総代さん宛にお渡し頂いても構いません。

こういう類の記事って、書いてよいのだろうか・・・・という迷いもありました・・・が、
えいや!と投稿。

想いだけでも伝われば、幸いです。


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<矢柄の「三島」>

白装束をまとい、四国のお寺を回る信仰の旅…
というお堅い印象があった「お遍路さん」。

しかし最近では、
「お遍路ガール」なる女子が増え、パワースポットとされる寺社仏閣を巡ることがブームになっているという特集をテレビで観ました。

 

そのお遍路が佐渡島にもあることをご存知でしょうか。

 

そもそも、「遍路」とは―

真言宗の開祖 弘法大師空海のことを「お大師さま」と呼び、お大師さまが生まれ、修行された四国の旧跡を巡拝することを指します。

 

その目的は、亡き人の供養、健康祈願、自分探しや開運・縁結び、癒し、建築やたたずまいの鑑賞、ご朱印集めなどそれぞれです。

 

佐渡には281ヶ寺のお寺がありますが、明治維新の時には539ヶ寺あり、信仰の島といわれる由縁になっています。そして、真言王国というほど真言宗寺院が多く、それだけお大師さまへの信仰が篤く、霊験話も伝わるそうです。

 

佐渡から海を渡り他国へ出掛けることが難儀であるため、島内各地には本四国の写しの霊場が開かれました。小木周辺の三崎遍路、国仲の国仲遍路多田・河内遍路歌見遍路、加茂新町の新兵衛遍路、金井泉の又兵衛遍路、春日の安照寺遍路などがありました。

里謡に〽四国西国及びもないが、せめて七日の佐渡遍路
と唄われ、農閑期には1週間ほどかけての巡拝も行われたそうです。

 

島内には、こうした歩き遍路のほか、寺堂内に掛け軸のご本尊を掲げ、ご詠歌を唱える居座遍路(ねまりへんろ)や、1ヶ所に88躰の石仏を並べて拝する石仏霊場も設けられました。

 

昭和6年、乱立していた佐渡遍路が整理統合され、現在の佐渡霊場の礎となる「佐渡一国遍路」が始まり、第二次世界大戦後の札所変遷、佐渡の10ヶ市町村合併を機に改編を重ね、現在の「佐渡八十八ヶ所霊場」となりました。

 

私が担当する相川金泉地域には、それに該当するお寺が3ヶ所、小川集落「多聞院」、姫津集落「萬福寺」、北狄集落「胎蔵寺」があります。

 

そこの住職から「佐渡へんろ」の存在を聞き、88ヵ所を6回に分けて回り、立ち寄りスポットで佐渡を楽しむことができるバスツアーを紹介してもらいました。お寺や風景を楽しみながら、
佐渡をぐるりとまわる
1日バスツアー"に惹かれ、ちょっとした旅行気分で参加することにしました。(完全プライベートな時間です☺)


霊場位置図

私は、第1回(第1番~14番札所+立ち寄り:尾畑酒造見学)と第2回(第15番~27番札所+立ち寄り:賽の河原巡拝)のツアーに参加し、27のお寺を回りました。

その様子を私目線の写真にてお伝えします。
※たくさん写真を載せますが悪しからず。

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島内に数多くあるお寺、1つの島に存在していた多くの遍路、昔から集落ごとにある様々な仏事などは、佐渡の伝統や生活を知るうえで、欠かすことができないものだなと改めて思いました。

来年4月に4回(第4461番札所+立ち寄り:真野公園にて桜観賞)
5月に5回(第62番~77番札所+立ち寄り:姫埼灯台見学)
7月に6回(第78番~88番札所+立ち寄り:北雪酒蔵見学、蓮華峰寺にてあじさい観賞)
が開催され、国仲から小佐渡方面をまわります。
途中の札所からの参拝でもよいそうです。
 

お遍路は、参加者それぞれの目的でよく、決められた服装や持ち物もなく、堅苦しくありません。私のように、お寺を中心に佐渡あるきをしてみようという気持ちでもよいと思います。

お寺で気持ちを落ち着かせつつ、集落のまち並みや海や山の春景色を感じながら、バスに揺られてみませんか。先達する僧侶やほかの参加者とのお話も楽しいですよ。
来年のお遍路にまた参加したいです。



参考文献:
佐渡八十八ヶ所霊場会【
HPhttp://sadoreijoukai.jp/

 「佐渡八十八ヶ所霊場案内 佐渡へんろ」佐渡八十八ヶ所霊場会

問合せ先:
安照寺(第
29番札所)℡0259-27-2673
東光院(第62番札所)℡0259-22-3837


佐渡・外海府の大倉集落。

この村には、島内に九社ある式内社の一つ、大幡神社が鎮座しています。

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少し高台に建てられたその神社からは、村全体が見渡せるようになっており、
黒々とした屋根瓦と、青い海と、畑の緑が、
「外海府の集落」といった感じの素朴な風景をつくりだしています。

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毎年、4月11日に執り行われる大幡神社の例祭「大倉祭」では、
浜での流鏑馬神事をはじめとする祭芸能が、古くから伝統として受け継がれ、
平成16年には、大倉祭が佐渡市の無形民俗文化財に指定されました。

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集落の過疎・高齢化が進み、祭芸能の継承が危ぶまれるなか、
今年の大倉祭は、近隣集落からの応援により、6年ぶりに浜での流鏑馬(やぶさめ)と神輿担ぎが実現し、なんとも言えない活気があふれました。

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私も、協力隊として着任した年から大倉祭で太鼓を叩かせてもらっています。

下手くそな太鼓にもかかわらず、「参加してくれてありがとう」と、
温かい言葉をかけてくださる大倉集落の方々には、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

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そんな、大倉祭で叩かれる太鼓も、実は鬼太鼓のひとつなのです。

5つの型に分けられるという佐渡の鬼太鼓のうち、大倉の太鼓は「一足型」という、
相川地区の鬼太鼓の原型といわれるもので、江戸時代の鬼太鼓がどのようなものであったを知ることができるのだそうです。😲

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そして、今回、この大倉祭から紐解くことができる鬼太鼓の歴史を探るべく、
あいぽーと佐渡にて、佐渡芸能伝承機構の理事長である松田祐樹氏による解説と、
大倉集落の芸能実演が、行われることとなりました。

<あいぽーと佐渡企画>
「大倉祭から探る江戸時代の鬼太鼓」


【日時】 11月13日(日)14:00~
【場所】 あいぽーと佐渡 多目的ホール及び2階展示室
【参加費】 大人300円  小中学生100円 (2階入館料含む)
【内容】 ・ 佐渡芸能伝承機構 理事長 松田祐樹氏による解説会
      ・ 大倉集落の芸能実演
      ・ 2階展示室の見学
【問い合わせ】 あいぽーと佐渡 TEL:0259-67-6733


☺ ーーーーーーーーーーーーーーーーーー ☺

大倉集落では、この日に向けて、芸能の稽古が始まっています。

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村で一番、祭を詳しく知る方はすでに80歳を超え、
芸能を教えられる人もまた、ほんの数名です。

また、4月の例祭では、島外からの帰省もあって芸能メンバーを揃えることができましたが、今回は、集落の少ない人数だけで頑張らなければなりません。

今回のこの話も、「人が揃わんから、出来ん。」 と、断ることもできたでしょう。

それでも、「完璧に出来なくてもいい、やることに意義があるのだ」
という答えを集落が出したことは、とても大きな意味があると感じます。

私も、へたくそながらも頑張って練習し、叩きたいと思います。

11月13日(日)は、是非、あいぽーと佐渡へお越しください。

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おまちしております。👹☺👹☺



もう二月も前のことになってしまいましが、片野尾歌舞伎定期公演を無事終えることが出来ました。

最近はテレビで歌舞伎の公演が放送されていて、

「歌舞伎見たよー!」と言ってくれる方が多く、嬉しい限りです。

「女役似合うね。」とも言われたのですが、それは私じゃないです 笑

 ↓もっと美しい方が演じておりました↓

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地域の顔師による化粧。


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着付け等は地域の方総動員で。

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役に入っています。


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太夫さんも最後まで台本の確認をしておりました。

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二年前は家来役をやらせて頂きましたが…


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今回は悪役でーす!(梶原平次景高役)




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今年も満員御礼!
廊下にも入れない方がいっぱいおりました。



ササ、始まり、始まり。



演目「一谷軍機 熊谷陣屋」
「平家物語」が題材。「熊谷陣屋」は全5段の物語の中で3段目にあたります。
源平合戦―源氏の武将・熊谷直実は、平家の若武者・平敦盛を打ちました。敦盛は後白河法皇の子であり、その母・藤の方は、かつて熊谷を救った恩人でありました。そこに主君である源義経が訪れ、敦盛の首実検(本人の首であるか確かめること)が行われます。が、しかし…!


が、しかしなのです!笑
内容が分かると歌舞伎ってさらに面白いくて奥が深いなーと、感激しました。

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藤の方

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相模



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源義経

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梶原平次景高


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弥陀六


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今回の主役である熊谷直実

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熊谷が出家する最後のシーンです。
何故熊谷が出家するのか?

迫真の演技に涙する人も。



無事、長時間に渡る演目を終えることが出来ました。
会場いっぱいに、止まない拍手。

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地域おこし協力隊の任期中に2回も、歌舞伎に出させて頂くことが出来ました。


公演を行うにあたっての大変な部分も、2回目の方がより知りました。

続けるがどうかの岐路に立たされている芸能は、いくつもあると思います。

人がいたから当たり前に出来ていたことが、当たり前じゃなくなってきています。

当たり前に出来なくなってきたので、大変な部分がいっぱい出てきています。



「苦しみ」と「喜び」の間で、ふんばっています。

しんどいからやめてしまえという話でもないと思います。

変えていかなければいけない部分もあるかもしれません。

でも、変えるくらいならやめてしまえという人がいるかもしれません。

とても今、「微妙」な状況だと思います。



結局なんかこう、うまくまとめれないのですが、


僕もそういった状況の中で、受け継いでいく側として、一生懸命繋いでいくのみです。


 

6月18日。

達者集落にある法華堂と真言堂で、『虫供養』が執り行われました。

 

虫供養』と聞くと、どんな供養を想像しますか?

 

私ははじめ、田畑につく虫や家庭に出る虫を排除しているため、「殺した虫の冥福を祈ります」のような意味の供養かなと思いまいた。しかし、本当の意味を聞いてなるほどと思いました。

 

昔は殺虫剤がなかったため、田んぼの稲や畑の作物に虫がついてしまい育たないことが多々あったそうです。それで、「虫よ、作物につかないでください」の意味で、稲が伸び始めたこの時期に行っていると集落の方から聞きました。

 

法華宗は、お堂でお題目を説いたあと、浜に下りて、清酒1升とごはん3杯を神様へ捧げました。

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今では良い薬剤ができたため虫がつくことは昔よりも減っていますが、この供養は昔から絶やさず行っているとのことです。
「昔からやってるからな~やるもんだと思っている」と笑って話してくれました。

 

豊作の1年になりますように。




片野尾歌舞伎公演まであと5日となりました。



全体練習はあと1回で、調整の段階です。



4月20日(日)
リハーサルが行われました。
集落の方を観客に招くリハーサルは、化粧以外は本番と同じ状況で行います。



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【衣装係のみなさまと】



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衣装は想像以上に重たく、暑いです。。

衣装アリとナシでは、所作も変わってきます。




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リハーサル開始中の衣装替え。

主役の熊谷は、計2回の衣装替えがあります。

衣装係さんも総出です!


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リハーサルは無事終わりました。

片野尾の人達も演目が分かっているので、自然と要所で全体から拍手が起きます。



「ここで拍手が起きるから、見得を切ったらもう少し止まりなさい。」

よく稽古で言われていたのですが、(こういうことか!)と、やりながら実感しました。



大目に見てもらっている部分はあると思いますが、それでも、

「イワサキくん、良かったよ。」

と、おばあちゃん達に言われて、たまらなく嬉しかったです。



あと少し!


やりきります!!








気がつくともう4月。

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片野尾歌舞伎定期公演まで、残り僅かとなりました。

稽古すればするほど、凄いチープな感じに聞こえるかもしれませんが、奥が深いなあと。




さてさて、

稽古以外にも、公演に向けて準備しなければいけないことが、今までにありました。


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【衣装合わせ】

過去の歌舞伎の写真などを参考に、自分の役の衣装を揃えていきます。
衣装は全て、丁寧に集落で保管されています。



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演目によっては使いまわしている衣装もあるので、確認し、自分の衣装を揃えます。




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【小道具づくり】

長年使用して傷んでいる小道具を直したり、不足なものを作ったりします。

この箱は、今回の演目でかなーり意味のある箱(鎧櫃)ですが…。


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こんな感じに!

綺麗に張り替えられていました。
他にも鎧であったり帽子であったり、傷んでいるものは直してました。

出来ないことなんてないというか、集落の人のひとりひとりの器用さには、驚くばかりです。


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【カツラ合わせ】



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【稽古後の重鎮の方との交流】

昔は毎回稽古が終わると、一升瓶をつぎ合いながら、歌舞伎談義に花を咲かせていたようです。

演技のヒントを聞き出せたりなど、コミュニケーションはやはり大事ですね。




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早いもので、もう4月です。

日々の稽古やその他の準備があったりで、足早にここまで来たように感じます。


楽しみな気持ちもあり、もう少しで終わるんだなあというさびしさもあり、


何とも言えない、伝統芸能シックです。









島に春の訪れを感じた3月6日の日曜日、赤泊では恒例の民話劇が開催されました。

毎年趣向を凝らした民話劇は今年で25周年と、主催者の赤泊演劇研究会にとって記念すべき公演となりました。

題目は「黒い手拭(てぬぐい)」、佐渡・相川、入川地区に伝わる民話だそうです。

劇では主人公の僧侶・敞念は、傲慢無礼の庄屋に比べ、貧しい小作人家族から受けた恩情に対し、魔法をかけた黒い手拭で、その娘の器量を良くし、家族を幸せに暮らさせました。

一方、無慈悲の庄屋へは、敞念は教えの道を仏の心で諭し、改心させたという筋書きです。

今年も多くの方に観に来て頂きました。毎年出演者、スタッフ総勢100名以上の老若男女島民が関り、一大ミュージカルを自らの手で作り上げている訳です。

日本広しと言えど、地区住民2千5百人程度の旧村で、これだけのパフォーマンスを成し遂げられるのは、ここ赤泊をおいて他に類を見る事が出来ないであろうと思います。

そして、この誇りを、末永く後世へ残して欲しいと願った今年の脇役の一人でした。

劇に関わった皆さん、お越し頂いた皆さん、大変ありがとうございました。


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片野尾歌舞伎公演(4月17日 日曜日)に向け、舞台づくりが行われました。
舞台は、片野尾ふるさと館(公民館)のステージに建てます。

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建てるのに必要な道具を運び…。
かなりの量です!


ここからは地域の大工さんを中心に組み立てます。


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「窓側 左前」とか
道具には、どの場所に、どの向きで使うかが設計図のように書いてあって、大工さん達はあっという間に組み立てていきます。


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この段階からどんどん舞台らしくなっていきます。


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襖、障子戸の取り付け。
足りない部分はすぐさま切り出して付け足し。


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おおお!

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ステージをさらに伸ばし、舞台を広く作ります。


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ステージ横に、花道もしっかりと。
ここから当日僕も出てきます!
ドキドキ!


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1日目が終わり、2日目。
舞台づくりは2日間かけて行います。

あんなにあったブルーシートの上の道具も、すっかりなくなりました。


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2日目は幕の取り付けなどを中心に舞台を仕上げていきます。

熊谷次郎直実の紋どころ、「鳩八」の幔幕から、ステージ全体の幔幕つけ。

義太夫と三味線の座る台の設置などなど。


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掃除を済ませ…。


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出来ましたー!!


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小道具づくり等もあるので、まだ舞台づくりが終わった訳ではないですが、これによって、役者陣は立ち稽古が開始となります。


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これだけの人数が集まり、やっと舞台が出来上がります。

んー!大変です!

これも含めて片野尾歌舞伎です。

片野尾に舞台を作り、公演します。
だから片野尾まで足を運んで頂き、是非観て欲しいです。


感謝しながら、舞台を踏みしめ、役者として稽古していきますっ!

3月到来・・・長く寒い冬のトンネルをくぐり抜け、島は間もなく春を迎えます。

毎年3月の第一日曜日、赤泊地区の皆さんは民話劇を鑑賞して、春の訪れを感じています。今年は、新潟日報文化賞を昨年受賞した赤泊演劇研究会創立25周年記念公演となります。

演目は創作劇「黒い手拭(てぬぐい)」。さて、どんなストーリーなのでしょうか・・・

時代背景は中世の赤泊、年貢米を納めさせている庄屋と小作人のお話し、お寺のお坊さんが天に代わって庄屋を成敗というハッピーエンドです。例年通り、多くの赤泊住民と地区外の老若男女の島民がコラボレーションして、歌、踊り、コーラス、太鼓と様々な活動グループを巻き込み作り上げている島内唯一のミュージカル大作です。

当地区担当隊員は脇役として今年も出演します。(^_^;) どうぞ、お越しください!

詳細は次の通りです。

「島に春の訪れを告げるむら芝居」赤泊演劇研究会設立25周年記念公演

演目:「黒い手拭」

日時:平成28年3月6日(日)午後3時、午後6時

会場:赤泊総合文化会館

入場料:無料

主催:赤泊演劇研究会

後援:佐渡市・赤泊地区公民館

写真は今年の練習と昨年のフィナーレ練習風景です。


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