協力隊として2年目の春。
今年も、大倉の祭に参加させていただけることになりました。

<大倉集落の懸社・大幡神社>
昨年の春、佐渡に来てまだ間もない頃、
「大倉祭で太鼓をやってみないか」
と、声をかけていただきました。
これが、私にとって初めての「佐渡の祭」でした。
協力隊になったし、なんでもやってみよう。と、
安易な気持ちで引き受けてしまったことを覚えています。
後になって、大倉祭が市の重要無形民俗文化財であることや、
大幡神社が格式ある懸社であることを知り、「ちゃんと練習しないとまずいな」
という気持ちが芽生えはじめました。

<宵宮>
大倉祭は、過疎・少子高齢化により、その存続すら危ぶまれているという現実に直面している祭でもあります。
担い手不足により本来の形で芸を奉納できないこと、禁忌や年齢制限を無くさなければならなかった事など、様々な問題を抱えていることもまた、事実です。
大倉祭というものを知っていくうちに、この祭で芸を奉納することへのプレッシャーが以前にも増して大きくなっていったのは、言うまでもありません。

そのころ、村で不幸が続きました。
祭自粛の雰囲気を感じつつも、本来の祭が持つ意味や、
祭を執り行うという事はどういうことなのかと、村で議論がなされました。
これまでの私にとって「祭」とは、縁日に並ぶ華やかな屋台の数々、日常を忘れる楽しいひととき、というものでした。
言い換えれば、その程度の体験しかしてこなかったということです。
しかしここに来て、
神事式で村全体の健康・安全・豊穣・大漁をお祈りし、
芸を奉納することが本来の祭であることを知り、
私の中の「祭」があっという間にくつがえされていきました。
楽しめるかどうかということや、芸が上手い・下手などよりも、
「真摯な気持ちで祭に参加する」ことが何より大切なのだと気づかされました。

<修理中>
とはいえ、数日のみの練習だけでは、体が芸をおぼえるはずもなく、
借りてきた撥(ばち)を使って自宅の壁で練習するも、一向に上達せず、
ついにプレッシャーに負けたのが祭の前日で、「もうできません」などと言いながらギブアップ宣言をしてしまったのです。
それでも、大倉集落の方々は「心配すんな、できてるじゃねぇか」と励ましてくださり、なんとかやり遂げようという気持ちを取り戻して、祭の当日を迎えることができました。

<大幡神社にて>
まだまだ寒さが、残る外海府の春。
祭当日の朝は冷たい雨に見舞われました。
足袋がずぶ濡れになってしまったのを見て、「終ったらお風呂に入りにおいで」と
声を掛けてくれた女性がいました。
なんともあつかましく「ただいま」と家に帰るようにその言葉に甘え、
ほかほかのお風呂に浸かると、無事に芸を終えられたことに安心し、一気に肩の荷が下りたような気持ちになりました。

そして今年。
再び大倉祭の季節となりました。
昨年は「新人さんブランド」を使い果たしてしまったので、今年はもう少しレベルアップしなければならないなと、早くもプレッシャーとの闘いがはじまっています。
そして今年は、たかち芸能祭実行委員会からも数名が大倉祭に参加します。
昨今の過疎・少子高齢化による御神輿の担ぎ手不足という問題に対し、芸能を通じて協力し合いたいという想いを込めての参加だそうです。

<大倉のお神輿>
今年の大倉祭は4月11日、月曜日。
平日ではありますが、色々な人の想いが詰まった大倉祭をたくさんの人に見てもらいたいと思います。
ぜひ、外海府・大倉へ足をお運びください。

<大倉集落の春>
長いブログを読んでいただき、ありがとうございました。