協力隊からの挑戦状
01/21 10時START
正解者には景品アリ
(先着50名)
挑戦者求ム・・・
#小学校高学年以上向け
#所要時間30分~
小木町地区担当 奥野 航
小木湊古絵図(文化年間作成、個人蔵、市指定文化財、一部拡大)
三味線堀のおかげで町は再び活況を呈し、最盛期を迎えることとなります。
後に堀は埋められ“浜町”と言われる地区が誕生しました。
花街として栄えたところで、300人もの芸者がいたと伝わります。
今でも地震前の海岸線の名残や堀の形をした通り、花街当時からの建物が残っています。
続いて紹介するのが汐通しの堀切です。
そもそも小木が港町として栄えたのは、2つの湾を有していたからだと言われています。
↑2つの湾の間に城山があることでどの方向からの風にも対応ができた
(出展:国土地理院の航空写真、1963年撮影)
ただ、急に風向きが変わったときには城山を迂回して反対側へ避難しなければなりませんでした。
そこで安全に避難ができるよう掘られたのが“汐通しの堀切”です。
1671年、城山の付け根を開削し、幅7間半(約14m)の堀が完成しました。
城山を除く一帯は泥岩でできていたため、このような工事が可能だったようです。
江戸から明治にかけての小木は、金銀の積出港に始まり、西廻り航路の寄港地として、また北前船の拠り所として絶えず変化をしていくことになります。
↑船乗りの信仰を集めた木崎神社に奉納された船絵馬
私はそんな小木の町を勝手に佐渡のベネチアと呼称しています。
ブラタ○リで紹介してもらえないもんでしょうか・・・
冗談はさておき、過去に思いを馳せるのは良いものです。
小木に来た際はぜひガイドをご利用ください!